岡口判事の戒告処分に係る最高裁決定を読んで |古田法律事務所

事務所通信

昨今話題となっている岡口基一判事の分限裁判について、最高裁が戒告処分を下したということです(以下「本件決定」といいます。決定はこちら)。

本件決定に対する率直な疑問として、申立ての理由(岡口判事のブログに公開されているもの。こちら)には記載されていない、ツイートに関する過去2回の厳重注意の存在が戒告の理由として考慮されていることが許されるのかということがあります。過去の経緯に言及した疎明資料が出されているようですが(こちら)、申立人が申立ての理由を拡張したものではないとの理解であり、民事訴訟法的に言えば処分権主義違反、刑事訴訟法的に言えば訴因変更を経ない違法な判断になるものと思われます。
裁判官の分限事件手続規則によれば、分限事件に関してはその性質に反しない限り非訟事件手続法第二編の規定を準用することになっているので、非訟事件なので判断は申立て事項に制約されない、ということなのかもしれませんが、分限裁判は裁判官に対する処分を決する意味で性質上刑事事件に近く、攻撃防御の対象が明示される必要があると考えられ、処分権主義(当事者による審判対象の画定の必要性)を排除することは手続の性質に反して許されないものと思われます。
この点、補足意見は、「本件の処分理由は、過去の行為そのものを蒸し返して再度問題にするものではない。そうではなくて、過去2回受けた厳重注意と、特に、2度目の厳重注意を受けた際の反省の弁にもかかわらず、僅か2か月余りが経過したばかりで同種同様の行為を再び行ったことを問題としているものである。」と述べているのですが、それが戒告の主たる理由であるのならば(情状の問題でなく無罪か有罪かを左右する構成要件的事実であるならば)申立て時点で言及されるべきです。処分理由は「品位を辱める行状」であり、過去にも同じようなことをして反省していたはずなのに再度同様の行為に及んだ「行状」が品位を辱めるものであると判断するためには、その基礎となる「前科」も、行状の一要素として申立て理由に明示されていなければならないでしょう。その意味で、本件決定には、そもそも手続法上の大きな疑義が存するところです。

以上を措くとして、本件決定の本丸は、問題のツイートが懲戒理由である「品位を辱める行状」に該当するかということです。この点について、本件決定は次のように述べています。

裁判の公正、中立は、裁判ないしは裁判所に対する国民の信頼の基礎を成すものであり、裁判官は、公正、中立な審判者として裁判を行うことを職責とする者である。したがって、裁判官は、職務を遂行するに際してはもとより、職務を離れた私人としての生活においても、その職責と相いれないような行為をしてはならず、また、裁判所や裁判官に対する国民の信頼を傷つけることのないように、慎重に行動すべき義務を負っているものというべきである(最高裁平成13年(分)第3号同年3月30日大法廷決定・裁判集民事201号737頁参照)。裁判所法49条も、裁判官が上記の義務を負っていることを踏まえて、「品位を辱める行状」を懲戒事由として定めたものと解されるから、同条にいう「品位を辱める行状」とは、職務上の行為であると、純然たる私的行為であるとを問わず、およそ裁判官に対する国民の信頼を損ね、又は裁判の公正を疑わせるような言動をいうものと解するのが相当である。

要するに、裁判官は裁判の公正や中立に対する国民の信頼を傷つけるような行動に出てはならず、かかる信頼を損ねたり裁判の公正を疑わせたりするような言動をすることは「品位を辱める行状」に該当する、という判示であり、この一般論自体は妥当なものだと思います(なお、引用されている平成13年の最高裁決定は、犯罪の嫌疑を受けた妻を裁判官が援助した行為が問題になったもので、本件と異なりまさしく裁判官の中立性に疑義が生じ得るケースです。)。もちろん裁判官にも表現の自由が認められるべきではありますが、裁判の中立・公正は職業上の要請であり、かかる要素に対する国民の信頼も司法制度の存立に不可欠ですので、これを害するような言動は裁判官の表現の自由に対する内在的制約として制限されてもやむを得ないものであり、それが嫌なら裁判官を辞するべきである、という議論は十分成り立つでしょう(弁護士も懲戒制度において同様の扱いがあり、それこそ相手方が感情を害するような不要に挑発的な書面を書いて懲戒処分を受けるようなこともあるわけです。)。
しかしながら、本件決定が今回問題としたツイートは、「裁判官の職にあることが広く知られている状況の下で、判決が確定した担当外の民事訴訟事件に関し、その内容を十分に検討した形跡を示さず、表面的な情報のみを掲げて、私人である当該訴訟の原告が訴えを提起したことが不当であるとする一方的な評価を不特定多数の閲覧者に公然と伝えたもの」とされています。そもそも当該ツイートが「私人である当該訴訟の原告が訴えを提起したことが不当であるとする一方的な評価」なのかどうか、また、一般的に見て当該訴訟の原告の感情を傷つけるものであるのか(不法行為の成立は難しいと思います)、という点にも争いがあるところですが、仮に、本件決定が言うように、かかるツイートが、原告の感情を傷つけるような内容であったとしても、それによって、「裁判官が、その職務を行うについて、表面的かつ一方的な情報や理解のみに基づき予断をもって判断をするのではないかという疑念を国民に与える」ことになるのかは甚だ疑問です。通常人からすれば、問題のツイートは、岡口判事が、自分が担当したものではない事件について、ニュースを見た感想に基づきツイートしたというものであり、岡口判事が自分の担当事件でも同じように判断するなどと考えることはないでしょう。職務外での私的な言動と職務遂行態度を通常人が区別できないという本件決定の理屈によれば、岡口判事のツイートを見た通常人は、裁判所でも岡口判事は白ブリーフ一丁で歩いていると誤解してしまうことになりそうです。
また、原告の感情を傷つけたかどうかは、裁判の中立・公正に対する国民の信頼とは無関係です。当事者の感情が傷つけられることで裁判への信頼が損なわれるのだとすれば、裁判官は日々判決で敗訴者の感情を傷つけており、裁判への信頼はガタガタになっているはずです(実際、裁判所は信頼できないと怒っている当事者は山ほどいます。)。職務行為と無関係なSNSでの言動に当事者が怒ったとしても、その人が岡口基一個人を嫌うことになったであろうことは別論、裁判官への信頼や裁判の公正への疑いが生じるということになるはずありません。
以上より、本件決定は、岡口判事のツイートが裁判の中立・公正に対する信頼を損なうものであったことについて説得的な理由を何ら示せておらず、懲戒事由の実体的判断においても不当なものだと考えます。このような判断が全員一致で下されるようでは、最高裁が考える裁判の中立・公正に対する国民の信頼というものはずいぶん安っぽいものなのだなぁと嘆かざるを得ないところです。

最高裁の本音は、申立ての理由となったツイートというより、過去のツイートを問題としたいということなのだろうとは思います。そのことは、「the last straw」なる謎の言い回しまで持ち出してきた補足意見の存在からも窺われるところです。そのことに手続的に無理があることは前述したとおりですが、確かに、本件決定でも引用されている

判事任命の官記の写真1枚と共に、「俺が再任されたことを、内閣の人が、習字で書いてくれたよ。これを励みにして、これからも、エロエロツイートとか頑張るね。自分の裸写真とか、白ブリーフ一丁写真とかも、どんどんアップしますね。」などと記載したツイート

は、個人的には冗談であり戒告するようなものではないとは思うものの、見る人によっては「判事として再任されたにもかかわらずふざけたことを書いて、こんな人が裁判官でいいのか」と思う可能性があることは否定し難く、また、「品位を辱める行状」を文言通り読めば確かに該当するだろうという内容です。国民の権利義務を判断する裁判官に対する国民の信頼ないし裁判所の権威を保持すべき必要性と比べて、表現の自由として保護されるべき価値の高い表現とも言い難いところです。このツイートが処分理由だということであれば、行き過ぎには思われるものの、裁判所のお気持ちも分からなくはないし、萎縮効果もそこまで気にする必要はなさそうである…というところです。
しかしながら、懲戒申立てを行った東京高裁と、それを認めた最高裁は、少なくとも形式上は、別の事件に言及しただけのツイートを問題として、戒告処分を下しました。このような処分が下されては、裁判官は、自分の担当しない事件について、SNSで身分を明かして気軽に発言することはできません。寺西判事補事件決定の趣旨も踏まえれば、SNSで政治的な話題に言及することも危ないということになるでしょう。このような判断を下しておいて、「本件のような事例によって一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように、念のため申し添える次第である」などと取ってつけたようなことを言う補足意見を読むにつけ、本件決定は、最高裁を頂点とする司法行政の健全性を考えるにあたり、いわば「the last straw」ともいうべきものであると、残念な気持ちになった次第です。

(弁護士 天白達也)

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